いちいの観音 櫟野寺

櫟野寺の略縁起

櫟野寺 らくやじ (いちいの観音)の略縁起

 福生山自性院櫟野寺(いちいの観音)は桓武天皇の延暦十一年に比叡山の開祖伝教大師様が根本中堂の用材を得る為に甲賀郡杣庄に巡錫の折、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下、謹刻安置されました日本最大坐仏十一面観音菩薩が御本尊様です。(総高5.3m 像高3.12m)
 その後、延暦二十一年鈴鹿山の山賊追討にあたり、杣ヶ谷を櫟野まで登られた坂上田村麻呂公は、当地鎮座の櫟野観音様に祈られその御力により鈴鹿山の群賊を平定することが出来たのであります。(鈴鹿山鬼退治と伝わる)それ故将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、永く当山守護の為に自ら等身の毘沙門天の尊像を安置、そして家来に命じて国技の相撲を奉納、是が現在まで継続しております大会式十月十八日の奉納相撲なのであります。  当寺は、天台宗総本山延暦寺の末寺で、往古は甲賀六大寺(油日寺・河合寺・新宮寺・千光寺・矢川寺・櫟野寺)の筆頭と云われ、この地方の天台文化の中心寺院であり、広大な境内を有し、その末寺には、阿弥陀寺・仏生寺・常楽寺・地蔵寺・成道寺・安国寺・詮住寺など数々の坊がありましたが、年月不詳荒廃に帰したのであります。(転宗、合併し一部現存)

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